粉浜ルポルタージュ01

 

一見、順調と思いきや、まず今回のために準備した自転車のペダルが上手くマッチしないまま部品交換にまで至った経緯をはじめ、思いかけず、目論みが喰い違うことしばしばというべきスタートだった。

 

大阪・京都での耐震診断に関連したヒアリングでは、限界耐力による計算を採用してはとも思われたが、結局、とりあえず一般診断を採用して再計算してみることにした。

 

路地部分境塀とは異なり、レンガ造ではなくコンクリート造だった既存基礎も、地盤面レベルより数センチしか立上がっていないため、どこかの部分で掘削によって断面の確認を行う必要があるだろう。たぶん配筋はされていない。スウェーデン式サンディング試験による地盤調査も行いたいと思っている。古代では上町台地をのぞいて海だった大阪は一般に地盤が悪い。

 

1階床下の土台および2階床のための梁等も、外周部などに回っているだけで、内部の間仕切りの位置とはほとんど関係がない。根太などもなく厚い荒床で床の荷重を下に伝達しているようだ。

 

屋根の架構は、十字に梁がはいっているだけで、建築当初の2階の間仕切り上部の下がり壁などには頭ツナギも入っていない。切妻屋根にはセンターの棟木とともに、それぞれの側にはモデュールとはべつに三等分の間隔で母屋が入っている。

 

かなり以前にだが、増築された部分がやはり雨漏りしている。谷樋をつくるような架構(屋根の形状)ではさもありなんだが、漏っているのは棟に近い部分なので、ここでは架構が原因ではない。瓦葺きも含めて全面的やり替えを検討すべきだろう。

 

木製の筋交の設置を考えていた既存壁は、1階と2階の位置がずれていて目論みが外れたが、これは事前調査でチェックできていなかった。北側下屋の位置も2階外壁部分より半間には足りないことが判明。こちらの寸法は確かに見落としてしまいがちである。

 

最後に、今回、もっとも大きな目論みがはずれたのは。水道の検針が来て、どうも「漏水」しているのではないかと指摘されたことである。水道局では、新市長の方針で、今月から調査・工事を行わないことになったとかで、連絡先を教えてもらった業者に来てもらったところ、浴室で漏水しているらしいので、それ以降、元栓を開閉しなければならなくなった。

 

 

粉浜ルポルタージュ02

 

長屋というのは、二軒から数軒の基本的には同じ(あるいは道路から見て左右反転した)間取りの木造住宅が、境界の柱・壁を共有して、それぞれの住戸が道路に対してそれぞれの玄関をもって並んでいる。専門用語では、タウンハウスとよばれる集合住宅の一種である。

 

これが第二次世界大戦前後の大阪に建てられたのは、都市域の狭さと人口密度の大きさとの関係からであるとされている。鉄筋コンクリート造の住宅やマンションのほとんどなかった時代の近代化という要求によって建ち並んだ。東京の下町には、現在でも江戸時代からの長屋の伝統が引き継がれており、京都ではもう少し規模の大きい町家とあいまって現在の中心部にも数多く残っている。

 

長屋を建て替えるとなると、その数軒に住んでいる住人の合意が必要であるが、それぞれの住人の年代も変化してくるとともに、長屋全体をいちどに建て替えることは難しくなってくる。また、それぞれの敷地や建物の規模が建て替えには小さ過ぎたり、建て替えるための前面道路が狭過ぎて、現在の法規では不可能な場合も少なくない。

 

それでも、長屋の一軒分のみを建て替えるとなると、境界の柱壁を残し、その上、その部分の外壁をしつらえた上で、そこから十数センチの(空間といえるような人が通れるほどのものではない)隙間をあけて新しい家のための外壁を新設する。ちなみに土地の所有権上の敷地境界線は、その柱の中心であるが、新築建物にとっての敷地面積をどこで計算していいのかは、新築する側になった経験がないので知らない。

 

この長屋も実は隣がそのようにして建て替わってしまっている。元々は四軒長屋の西端だったので、隣が切離されてしまっては、もう正確には長屋ではなく、元長屋の戸建て住宅である。しかし、そのように残ってしまって建っている長屋は、元々の長屋の一部でしかないので、何軒かがいっしょになっていても、建物の構造上は元のひとつの建物のかたちを失ってしまっているといえる。そのような構造上の問題がもっともよくあらわれるのは、小屋組みとよばれる屋根を架けるための構造である。

 

その小屋組みの水平材として使われている横架材とよばれる梁・桁・母屋・棟木などの長さは、二軒長屋なら一軒の二倍必要だし、四軒長屋なら四倍必要になるのはいうまでもない。この地に建てられるふつうの一軒の建物なら、規模にもよるのはもちろんだが、そのような横架材はこの地に生息している自然材である木の長さで賄うのに、ちょうど適当な大きさ(長さ)なのは、偶然の一致というより以上になにか不思議な気がしないわけでもない。

 

しかし、長屋では、その二倍、四倍必要なのであるから、それらの水平材をどこかで継がなければならない。そのような、仕口は伝統的な木構法によってさまざまな工夫がされてきたが、やはり継がないにこしたことはない。そして、それらの継ぐ位置は、ちょうど柱や壁のところではなく、それらから外したところで継ぐのが昔からの構法上必要であるとされている。すなわち間仕切りや長屋の建物の境ではないところで継ぐ必要があったのである。

 

そして、この切離されて残った長屋では、そのようにどうしても必要に迫られて継がれた箇所が、すでにない隣家ではなく、こちら側にあったのは、しょうがないというしかない。それらの隣家側の水平材はすでに境界の柱・梁のところでカットされているので、ひとつの柱・梁だけで一点支持されているにすぎないことになる。

 

おまけにそれらの継ぐための仕口は、どう見ても上下反対のように思うけれど、長屋だった建設当時にはそちらのほうがよかったことなので、今更文句をいう筋合いのものではない。というわけで、何よりも先に、まず長屋の弱点であるこれらの仕口を金物で緊結して一体化しなければならない。

 

水平材であるそれぞれの桁・母屋・棟木が屋根の荷重を負担する応力を計算して、それぞれの必要耐力を上回る短冊金物を取り付けるのだが、今回はそれらの机上での計算をしただけで、現場では小屋裏に常設の照明を設置しただけで終わってしまった。次回はこのつづきと、そろそろ漏水の修繕のための床下を開けなければならない。

 

 

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